みやちゃんねる

はじめまして 多様な学び方をあたりまえに!そんな思いでブログを書いてます。

宮澤 宏平のストーリー③

みなさん

こんにちは

 

「10人いれば10通りの学びかた」をモットーに活動する

パーソナル・エデュケーターの宮澤宏平です!

 

自己紹介も兼ねた

自分のストーリーをアップさせていただいています。

 

「あなたは誰なの?」「何している人?」という方は

是非ご覧ください。

 

前回、幼少期のストーリー①→みやちゃんねるストーリー①幼少期

 

   恩師との出逢い②→

 

今日は、少しとんで高校時代のお話です。

 

        人生の目標ができた高校時代

転校続きの小学校時代

そのまま地元の中学へ進学しましたが

 

1コ上の兄と比較されることが嫌で、小学校の時にやっていたサッカー部にも入らず

f:id:miya0121:20190214070950j:plain

 

帰宅部として過ごしていました。

 

勉強もそこそこ、放課後は帰宅部仲間と公園で遊んだり

当時はやっていた任天堂で遊んだり・・・

 

毎日がなんとなく過ぎていくような退屈な毎日を過ごしていました。

 

先日、実家に行って見返してみてびっくり

通知表にはどれも「どの教科にも真面目に取り組み・・・」みたいなことが

毎年、毎学期書かれていました。

要は、真面目だけが取り柄の冴えない生徒。でした。

 

成績は中の上

運動神経もそこそこ

他人に迷惑をかけない わりとおとなしい生徒

f:id:miya0121:20190214070819p:plain

 

 

そんな感じです

 

そんな退屈な中学時代を過ごしていたので、高校は同じ中学の人がだれもいないところへ進学しようと、新設校の総合学科へ入学。

いわゆる高校デビューですね

新設校(これまで商業高校だったところが合併して新しくなった)ということで

先輩はおろか、行事もろくに無く

 

入学したときに

「この学校にはまだ校則はありません。」

「おもしろくするのも、つまらなくするのも君たち次第です」

という校長の言葉にもの凄くワクワクしたのを今でも覚えています。

 

そこからは、テニス部で副部長として練習メニューを自分達で組んだり

 

3年間体育委員会として、体育祭を毎年アップデートしたり

 

文化祭を自分達で創り上げたり、オーストラリアへ短期留学したりと

 

 

 

スタートアップで一からなにかを創り上げるのが楽しいって思えるのは

ここが原体験にあるからだなと思ってます。

 

 

とにかく学生生活を楽しんでいましたw

 

      世界を変える を目標にしたカンボジア

 そしてもう一つ

うちの高校は【総合的な学習】の取り方が特徴的で、

なんと2週間のまとめ取りだったんですね

 

しかも、選択制

どんなものがあったかは、いまいち覚えていませんが、自分は

1年生  オーストラリアへの交換留学

f:id:miya0121:20190214071141p:plain

f:id:miya0121:20190214071315j:plain

2、3年生 国際ボランティア概論 

 

という科目を履修しました。

特に、国際ボランティアの授業で、世界の飢餓や教育、環境問題に触れたことがとても衝撃的で、授業中のディスカッションの中で泣きながら、討論するなんてものもあるくらい熱い授業でした。

 

あまりの熱量に

高校の卒業式の1週間後には、カンボジアのスタディーツアーに参加していたほどです。

 

かものはし という団体が主催したもので、カンボジアの農村部やステメンチャイのスモーキーマウンテン(ごみ山)で暮らす子どもたちを訪ねました。

 

この旅も

自分の人生におけるターニングポイントの1つでした。

 

f:id:miya0121:20190214071610j:plain

 

カンボジアで見た景色、

ごみ山を訪ねた後に、ホテルに帰っていくら洗っても落ちないごみの悪臭

そんな環境でも学びたいって目を輝かせながら授業を受ける子達

(ごみ山の中に日本人ボランティアがやってる学校がありました)を見て

 

この現状をなんとかしたい!と強く感じました。

「生まれる場所でその子の人生が変わるなんてことが、あっていいはずがない」と

 

f:id:miya0121:20190214071725j:plain

 

進路を考える中で、

自分が現地に行って働く「青年海外協力隊」のような道も考えました。

 

しかし、自分が井戸を掘ったり、現地で授業をすることで救える30人より

自分が教育現場に入り、こういった現実があることや未来の担い手を育てる教師になった方が、救える命も増えるんじゃないか

 

そう考えて、教師を目指しました。

僕にとって【世界を変える】手段が、教育だったんですね

 

世界を変える手段としての教育

この考え方は、いまなお持ち続けています。

 

こうして、ブログやSNSでの発信を続けるのも

その想いがあるからなんだなと、振り返って再確認できました。

 

 

では、学校現場で自分がどのように働いたか

f:id:miya0121:20190214071647j:plain

この続きは、次回に譲りたいと思います

 

宮澤 宏平のストーリー④

みなさん

こんにちは

 

「10人いれば10通りの学びかた」をモットーに活動する

パーソナル・エデュケーターの宮澤宏平です!

 

自己紹介も兼ねた

自分のストーリーをアップさせていただいています。

 

「あなたは誰なの?」「何している人?」という方は

是非ご覧ください。

 

前回、幼少期のストーリー①→みやちゃんねるストーリー①幼少期

 

   恩師との出逢い②→

 

           人生の目標を定めた高校時代③→

 

今日は、大学時代~教員スタートのお話です。

 

         貪欲に学んだ大学時代

 

教師になるという目標を定め

大学は教員免許を取れる帝京大学に入学。

 

忘れもしません。

入学前のガイダンスを受けにキャンパスへ行った日。

 

周りはみんなギャルとホストみたいな頭したのばっか

「あれ?入る大学間違えたなこれ、友達できねーわ」と絶望感を抱いたことを

 

 

ただ、その方々は学部が違って

GW開けるころには、姿を消していましたw

 

 

そんな感じでスタートした大学では

ボランティアサークルに入り、授業では小学校免許を取るための科目に加え

他学科聴講というシステムを使って、中高英語免許も取ろうとしていました。

 

さらに2年生にもなると、

特別支援教育にも興味を持ち、さらにコマ数は増えていました。

 

自分のやりたいことに直結した学習だったため

人生で初めてちゃんと勉強していたように思います

 

f:id:miya0121:20190214073123j:plain

 

幸い友達にも恵まれ

サークルでは、学童・児童館・特別支援学校・小学校の行事の引率などなど

いろんな分野のボランティアに参加しました。

 

ここでレクリエーションスキルや

子どもの注意をいかに引き付けるかみたいなスキルを身に付けたと思います

 

自然教室(6年生の宿泊行事)にはおそらくトータルで20回以上は参加したので

そこらの先生より経験積んでましたw

 

        まさかの教員採用 不合格

 

そんな調子で、真面目に大学生活を送っていたので

教員採用は大学推薦枠で 神奈川県 を受けることに

 

実技試験も筆記もそれなりに自信があったので、

周りも自分も受かるものだと思っていました。

(そのころ、教員採用試験に向けて自主勉強会を開いていました)

 

でも、結果は【不合格】

 

思い返せば、人生初の挫折だったかもしれないです。

 

・自信もあったばっかりに、自分には適性がないんじゃないかって思う怖さ

・大学生って肩書がなくなる怖さ

・周りのみんなが教師になるのに、自分はあと1年浪人するのかって怖さ

 

いろんなものに押しつぶされそうで

かなり落ち込んだ気がします。(正直、あまり記憶にないw)

 

 

幸いにも、ゼミの先生から勧められた東京都の二次募集にひっかかり

滑り込みでその年に合格することができました。

 

うーん。いまでも試験とか選考は苦手です。

 

 

ここから教員生活スタートです。

 

f:id:miya0121:20190214074528j:plain

 

宮澤 宏平のストーリー②

みなさん

こんにちは

 

「10人いれば10通りの学びかた」をモットーに活動する

パーソナル・エデュケーターの宮澤宏平です!

 

自己紹介も兼ねた

自分のストーリーをアップさせていただいています。

 

「あなたは誰なの?」「何している人?」という方は

是非ご覧ください。

 

前回、幼少期のストーリー①はこちらから→http://3tyoume-minna-gakko.hatenablog.com/

   

今日は小学校時代に出会った恩師とのお話です。

 

     わすれられない授業 うっしーとの出会い

 

僕が、社会人になったいまも鮮明に覚えている担任がいます。

小学校1、2年生の時に担任をしてくれた

牛島先生(通称うっしー)です。

 

もじゃもじゃの頭でベートーベンのような顔をした先生で

子ども1人1人をしっかりと見て、評価してくれる先生でした。

 

 

今でも実家に大事に取ってあるのですが

毎日のように学級通信を発行していて、

そこには学級での出来事や自分の描いた作品なんかをたくさん載せてくれていました。

タイトルは『どろんこ』

 

f:id:miya0121:20190213154030j:plain

 

 

また、先生との交換日記のようなもので

「せんせいあのね」という日記も書いていました。

 

ぼくは、この先生が大好きで

うっしーに褒めてもらいたい一心で鉄棒やらぶんぶんごまやらいろんなことに

チャレンジしたのを覚えています。

 

 

授業よりも、先生と一緒に休み時間に遊びまわったことの方が記憶に残っています。

勉強をがんばると【給食おかわり優先権】や【おんぶ券】【席替え券】を貰えるっていう今思い返してもユニークな実践をしている先生でもありました。

 

そんな先生との授業の1コマで

いまでも鮮明に覚えているものがあります。

 

季節は覚えていませんが

とても温かくてポカポカした日で

 

国語の授業をしているときでした。

 

 

静かな教室の中で先生がぽつりと

「いい天気だねぇ こんな天気のいい日には学校を休んで、お母さんにおべんとうを作ってもらって、おでかけしてもいいんだよ」って言ったんです。

 

言います?

先生が子どもに向かって、「学校は休んでもいいんだよ?」って

 

少なくとも僕自身は

こんなことを言われたのは後にも先にもうっしーだけですw

 

小学1年生ながらに、衝撃でした

 

学校って絶対に行かなくちゃいけないところじゃないんだ!

 

学校以外に楽しそうなことがあったら

それをやってもいいんだ!って

 

でも、不思議なもので

先生のことが好きだから、

学校を休みたいとおもったことはこの時はありませんでした。

 

 

 

牛島先生は、僕が教師という仕事にあこがれを持つきっかけをくれた先生で

いまなお目指したいと思える先生です。

 

教員であるかどうかはさておき、

自分自身も、自分の関わった子どもにこんな風に思ってもらえるように

これからも教育に携わっていきたいと思っています。

 

 

続きは、3話へ

読んでいただき、ありがとうございました!

 

f:id:miya0121:20190213154102j:plain

 

宮澤 宏平のストーリー①

みなさん

こんにちは

 

「10人いれば10通りの学びかた」をモットーに活動する

パーソナル・エデュケーターの宮澤宏平です!

 

今日から自己紹介も兼ねた

自分のストーリーをアップさせていただきます。

 

「あなたは誰なの?」「何している人?」という方は

是非ご覧ください。

 

          転勤続きの小学校時代

生まれは、

実は北海道札幌市。(でも、寒いのは苦手です)

 

宮澤家の三男として生まれました。

f:id:miya0121:20190213152206j:plain

 

名前は、北海道の雄大な景色のように広くおだやかな心をもった子 

という願いが込められ

 

「宏平(こうへい)」 

※変換で出ない時には、ひろしで出てきます

 

ちなみに、これも

話すとよくびっくりされるのですが、男だらけの4人兄弟ですw

 

名前に平がつくのも伝統で

上から

 

 長男  信平

 次男  洋平

 三男  宏平

 四男  哲平   となっています。

 

小さい頃に、「名前はりょうへいとかかっこいいのがよかった」と話したら

「何言ってんのよ!呼ぶときにようへいと紛らわしいじゃない」と一蹴されましたw

 

f:id:miya0121:20190213152516j:plain

 

生まれたのは北海道ですが、

父の仕事の関係でそこから転勤が続きます。

 

小学校は転校続きで、トータル3校を転々としています。

1~2年生が神奈川県藤沢市

3~6年生で高知県高知市

ほとんどの行事が終わった6年の夏に東京練馬区へ転勤。

 

身長はいつも学年で1~2を争う”チビ”

前ならえが苦痛な6年間を過ごしていました。

かつ、生まれつきの遠視(老眼みたいなやつ)で当時は薄型レンズなどなく、ビン底めがね。”ちびメガネ””めがねざる””クソちび”と、小学生ならではのドストレートな称号を欲しいがままにしていました。

 

自分ではどうすることもできない

パーソナルな面に対するあだ名ばかりつけられ

「それしか言えねーのか」と噛みついていたのを覚えています。

 

高知への転勤では、初日に担任の先生の訛りが強すぎて、

何を言っているのか理解できず泣き、

10までの数を数えるだけでイントネーションが違うと笑われ、また泣く。

 

東京に越してきたときはタイミングも悪かったために、

行事はすべて終わり完全にアウェーのまま卒業。

 

中学もエスカレーター式で周りは仲良しグループばかり、

先に入学していた兄と比較されたくないという理由で

サッカー部には入部せず、

 

それもあってか

いつまでたっても満たされない中学生活を送っていました。

 

        

こんな幼少期が影響してか

学校に対しては、 正直あまりいいイメージをもっていないところもあります。

 

ただ、4人兄弟というのもあってか

うちの母はだいぶ、ファンキーなので「行きたくないから休む」という選択肢は

一切ありませんでした。

 

いま思い返すと

親の言うことは絶対という刷り込み

(有無を言わせず転校、駄々をこねないのがいい子みたいな)や

 

学校での生きづらさ・理不尽さを

小さいながらに感じていたのかもしれません。

 

第一話はここまで

次回は、小学校時代に出会った恩師についてお届けします

 

 

 

ブログ再開しました

 

こんにちは!

”パーソナルエデュケーター”という肩書きで活動してますみや@元小学校教員 (@miyazawa0121) | Twitterです。

モットーは

「10人いたら10通りの学び方を届ける」 です。 

   名前:宮澤 宏平(みやざわ こうへい)/男性

1988年 北海道/札幌市生まれ。

中学まで父親の仕事の関係で全国を転々とし、中学進学に合わせて東京へ

帝京大学の文学部教育学科を卒業してます。

子どもと関わることが大好きだったので、夢だった小学校教員になりますが、いつまでも変わらない教育現場にやきもきして6年目で退職。

 

 

現在は株式会社LITALICOで『障害のない社会をつくる』というビジョンのもと

教材開発と特別支援を必要とするお子さんへ支援を届けています。また、最近youtubeでの動画配信(みやちゃんねる - YouTube)にて動画コンテンツの配信、SNSでの教育ネタを配信中(https://www.facebook.com/kouhei.miyazawa

最近はYouTube活動にも力を入れてます。

www.youtube.com

 

ちなみに

エムグラム診断の結果はこちら

 

衝動性高めで多動傾向あり

無駄なことが嫌いで、わりと反抗的という

 

完全に社会不適合者です。

後天的に身に付けたコミュ力でなんとか成立してます

 

現在は

  • 理想のライフ・ワークスタイルを提供すること
  • 埋もれている価値あるコンテンツを分かりやすく広く届けるこ
  • 特に日本人が知らない海外の教育事情などを発信していくこと
  • 遊び=最高の学びという視点を伝えていくこと

といったことを軸にして活動してます。

趣味=いまやっている仕事です。

日々、成長する自分が楽しくてしょうがないですw

 

 こちらのブログでも #海外の教育 #これからの教育 #発達障害 #不登校 #学びやすさなどをキーワードに発信していければと思っています。

どうぞよろしくお願いします

 

 

感覚過敏ってなに??【触覚過敏編】

 

f:id:miya0121:20171027061007j:plain

 

□ 服の着心地にこだわる

□ 苦手で着られない服、靴下、靴、帽子などがある

□ 手がべたべたする、手に水がつくなどをとてもいやがる

□ 髪のブラシ、歯磨き、爪切りなどを「される」ことをとてもいやがる

□ 軽く触られただけでも、大きく体をひいてしまう。握手やハグが苦手

□ 気に入った手触りのものを、いつもさわっている。

 
 
こんな症状がある場合・・・もしかしたら
触覚過敏かもしれません。
 
また、熱さ寒さに対する感覚が鈍いこと、

痛みに関する感覚が鈍い(鈍麻)こともあります。

 

そのため、

炎天下の中、自分の体調に気付かず遊び続けてしまったり

ケガをしても気付かなかったりといったことが起こります。

 

また、子どもによっては、

強い刺激を求めたり(感覚探求)、逆に感覚を避けたりする(感覚回避)こともあります。

 

学校や幼稚園で困るのは

「図工の時間」なんだとか・・・

 

たとえば、指定されて購入したのり

スティックタイプなら手につくことはありませんが、 

低学年ではだいたいつぼのりタイプを使いますよね

f:id:miya0121:20171027061804p:plain

また、油ねんどは独特な臭いもあり、使えないこともあるようです。

 


そんな触覚過敏に対する工夫として考えられるのは…
 
その1 刺激をなるべく減らす。

    ・苦手で使えないものは、無理して使わない。

    ・着心地の悪いものは、着ない

    ・身に付けるものは、着心地を確かめてから買う

    ・着心地が大丈夫なものは、同じものを色違いで何着も買う

     (我が家は無印良品のものは、タグを切れば大丈夫みたいです)

 
その2 アイテムを利用する。

    ・触っていて、落ち着くものを持ち歩く

    ・トランポリンなどは感覚刺激を求める子には有効だそうです。

    ・木製のカトラリーを使う

    ・鏡で自分の体(ケガ)の状態を確認する習慣をつけるなど

        

その3 事前に伝える

    ・もし触られるのが苦手であれば、声かけで対応する。

     避難訓練のときに、無理やり引っ張って連れていくのではなく

     「しずかなところに移動しようか」「服の端を掴んでついてきて」など

    

    ・周りにも感覚過敏があることをあらかじめ伝えておく

    ・苦手な素材や急に触られるのが苦手なことを伝える

 
などの手立てが考えられるかと思います。
学校だけでなく、家のなかでも工夫できる点はあるかもしれませんね!
試してみてください

感覚過敏ってなに?? 【聴覚過敏編】

f:id:miya0121:20171026222022j:plain

 

□ 突然の大きな音が苦手

□ よく耳をふさぐことがある。

□ 耳を塞ぎながら声を出したり、大きな声で歌ったりする

□ 特定の音や声に苦手がある。

□ 騒々しい場所では集中ができない

□ 時計の秒針、換気扇など生活音がとても気になる。

f:id:miya0121:20171026221926j:plain

 
こんな症状がある場合・・・もしかしたら
聴覚過敏かもしれません 
 

イメージとしては、

トンネルの中で声を出すと、大きく反響しますよね

あれに近いらしいです。

 

音が凄く大きく聞こえたり、耳の中でごわぁーんって反響したり

その音をかき消すために、

両手で耳を塞いで自分で音んーんーーと音を出す子もいるようです。

 

また視覚過敏と同じように

一度にたくさんの音を拾い過ぎてしまうこともあります。

 

人間の耳って実はとても優秀で、ノイズキャンセル機能が自動搭載されているんです

外を車が走っていたり、隣の子がおしゃべりをしていても、

教室の前で先生がしゃべっている声をしっかり拾える。

 

でも聴覚過敏の子は、外の車の音も、隣の子の声のしゃべる声も、先生の声も

みんな同じ音量で聞こえちゃうらしいです。それは、想像しただけでストレスフル!!

 


そんな聴覚過敏に対する工夫として考えられるのは…
 
その1 刺激をなるべく減らす。

    静かな場所で過ごす

    大きな音がする場所は避けるなど

    つらい場合は、他の場所で過ごす

    他の子に対してであっても怒鳴ったり、大きな声で注意したりはしない

    
その2 アイテムを利用する。
    ・ヘッドギアや耳栓をつける

    ・好きな音楽などをかけて、苦手な音を紛らわす

    ・運動会のピストルを太鼓など別の合図にするなど
     (最近は、光で合図を出すピストルも出てきましたね)

 

その3 あらかじめ伝える

    ・避難訓練の時には、事前にいつ・どんな音が出るのか伝えておく

    


    
などの手立てが考えられるかと思います。
学校だけでなく、家のなかでも工夫できる点はあるかもしれませんね!
試してみてください